創業90周年を迎えて


吉田病院は、平成31(2019)年4月、創業90周年を迎えました。

激動の昭和60年間と平成30年という永い年月、病院運営を続けてこられましたのは、ひとえに地元の皆様の変わらない厚いご支援の賜物と、心より御礼申し上げます。


昭和8年頃の丸亀駅の様子
写真1:昭和8年頃の丸亀駅の様子

吉田病院は、昭和4(1929)年4月、
丸亀市宗古町15番地(現在のケアハウス天宝苑敷地)で創業しました。
今から90年前の丸亀がどんな様子だったのかを物語る貴重な写真が、丸亀市中央図書館に保存されていました。

 

 

昭和8(1933)年の写真では、明治30(1897)年に丸亀から高松まで鉄道が延長され、この時に浜町に国鉄の新駅が完成されたとあります。
駅前は人力車や自転車で賑わい、普段着らしい着物姿の人が見受けられます。

写真2:昭和8年頃 通町商店街の様子
写真2:昭和8年頃 通町商店街の様子

写真2では、アーケードのような布地の日覆や、旧日本建築の建物を表だけ洋風に見せているマスク建築の店がたくさん見えます。

左手前の「太田理髪店」は今も建物があり、ここが現在の通町商店街北口あたりということがわかります。
ここを左に進むと病院のある宗古町です。

このような時代に、明治28(1895)年生まれの創業者吉田美寿利(みすり)は、ドイツ留学で外科手術を学び、帰国後丸亀で手術のできる病院の建設を考えました。病院の立地条件は、手術に必須の上水道設備とプロパンガスの供給が可能であることでした。前述のように当時の丸亀でこの条件を満たすのは、通町界隈に限定されます。

その点、宗古町は通町に隣接し、駅にも近く申し分のない立地であった訳です。

昭和4年に完成した洋風2階建ての病院の写真が残されていました。

↓【撮影は昭和34(1959)年頃】

1階はそれまでの病院にはない手術室と、ドイツから何ヶ月もかけて船便で到着したレントゲンが設置されました。病室は2階で26床のベッドがあり、寝具も用意されていました。また食事も配膳され、入院時には患者が布団を担いで米一升持参が普通の時代に、吉田病院では完全寝具と完全給食が行われていたようです。

さらに驚かされるのは、建物内を1階から2階につながる大規模なスロープの存在です。これはエレベーターのない時代に、1階で手術を受けた患者様を2階の病室へ搬送するときに使われました。大八車のようなストレッチャーに乗って、らくらく移動できるので患者様にも看護婦にも大変喜ばれたようです。

 こうして創業された吉田病院は、戦時中の昭和18(1938)年頃には、木札(番号札)を持った人が「駅まで列をなす」と噂されるほどで、遠くは伊予三島辺りからも来院されていたようです。やはり戦争によって負傷された方も多く、外科手術のできる病院が求められたという時代背景があったためでしょう。


そして時代は移り、元号が変わるという記憶に残る年に90周年を迎えた吉田病院も、次の世代が新しい一歩を歩みだします。

創業者故吉田美寿利のひ孫にあたる吉田英統(ひでのり)が、新院長に就任することになりました。これまで同様、認知症専門医として老年精神科の診療をおこないますが、院長として今後の吉田病院の運営を担ってまいります。

 

「令和」の時代、新しい体制で進みだす吉田病院を今後ともよろしくお願い申し上げます。


参考資料:写真1・2は(株)国書刊行会「ふるさとの思い出 写真集・丸亀」編集者 吉岡和喜次